蘭たんのニーアオートマタ完走した

終盤めっちゃ「みんな武器を手に取るのやめよ?せめてピコピコハンマーとかにしよ?」
と思った。

 

 

 

壊されるために生まれたモノたちの物語【ニーア オートマタ】#1 - YouTube

 

 最後ポッド153が
「生きるということは、恥にまみれるということだ」と
ポッド042には「分からない」結論を提示してるの、めっちゃいいですね。
ポッド042は153より先輩で、より「感情を持つように」設計されている(らしい)ので
ずっと153には先輩ヅラしてきたし、153に人間的思考を導いてきたんだけど
153自身にも個性が出てきたんだな…と思って。
その結論はどこから導いてきたんだろうなあ。個人的に本でも読んだのかな。

 

 

みんなずっと戦ってるゲームだから
「人類の本質は闘争」と結論づけたくなるかもしれないけど、
それは非常に早計だと思った。
進化した機械生命体とアンドロイドの戦争、
機械生命体同士、アンドロイド同士の内戦もあったし
9LとA2の疑念、すれ違い、戦いもあった。
確かに「人間らしく感情を持って進化した」ロボットたちがたくさん戦ってて、
最終的には平和主義者のパスカルも怨恨の感情に駆られて戦ってたけど、
それ以前に
役割を与えられて協力していたヨルハ部隊がいたし、
途中から役割を超えてヨルハ機体を心配し、協力した随行支援ポッドがいた。
この人たちの結末も最終的には争いになるのか?と聞かれたら
それは違うんじゃないかなあ…。

 


「Detroit:Become Human」が参考にした
レイ・カーツワイル
『ポスト・ヒューマンの誕生』という本では
2045年にロボットが人間を超すらしい。
というか、なんかむしろ人間がロボット的な要素(機械生命体のネットワークとか、9Sの生身のハッキング技術に近いものとか)を取り入れてさいきょうになるらしい。
わけがわからないよ。
で、アンドロイドも愛や感情、自意識は持つだろうという結論らしい。
いや、難しすぎて結局よくわかんなかったけど…。

 

そうなってくると、「個」がネットワークで接続されて「いない」ことが
今の人間の強みなんじゃないかなと思ったり。
その分意識の共有はできないから、なんかTwitterでもクソリプ合戦とか学級会とかすぐ起きてるけど
小さなコミュニティ(550円)での連帯感や、
情報伝達手段としての文化(文学・絵画・音楽)の多様化・発展や、
「気遣い」「心配」「思いやり」など。
パスカルの平和村も、機械生命体のネットワークから独立したことが
形成のスタート地点でしたしね。
あとはニーアオートマタに顕著だったけど、ネットワーク経由のウィルス感染のリスクがないこと。

 

まあすでに私自身の生活はクラウド同期に頼り気味で、Googleに障害が出ると詰むので
あくまで「現状は」の話ですけど。

 

でも「分かり合えない中で分かり合えること」って案外いいんじゃないかなと思っています。
そう考えると、ネットワーク接続が前提にあるヨルハ部隊や機械生命体は
「分かり合えること」が前提にあるので、
「分かり合えないこと」が結構イレギュラーだったりして。
だとすると2Bの最初の9Sへの拒絶、9Sの孤独やA2とのすれ違い、A2の闘争の日々が
結構重い意味を持つことになりそうです。
この話やめよっか。やっぱピコピコハンマーにしよう。

 

 

 

f:id:sweetclover194:20210314213953j:plain

 

 

 

蘭たんのパート1張ってて思ったけど
「壊されるために生まれたモノ」、
べつに人間だって (結果的に)壊されたり自分で死んだりもするし
からっぽの空洞になってひたすら無を生産して働き続けたりもするので
変わらんくないかなあ。

人生は生まれた意味や結末より、
やっぱり過程にこそ意味を見出さなくちゃいけないのかもしれません。

  

 

 

追記: 矛盾した結論を持ったまま生きていくのは

人間の特徴らしい(『ポスト・ヒューマンの誕生』より)んですけど、

それを許せなかったのが赤い少女だったんだなあと思ったり。

「なあなあにして生きていく」というのは結構人間の底力なのかなあ。

「あの人のこれは許せるけどこの人のこれは許せない」があったり、

判断が時と場合と気分によって違うのは

人間の評価しがたい部分だと思うんですが、

強みに働くこともあるのかな〜と思いました。

 

 

 

 


ニーアオートマタと同時にあげられてたガチョウ、
あれに救いを求めてる人をちらほら見たけど
私はあれ周りの人間がとにかく気の毒派で、、、
だってあんなんイタズラってレベルじゃねーぞ!!!!訴訟案件だぞ!!!!!!!